ミスティック・リバー
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2005/04/22
- メディア: DVD
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上野セントラル
ひつじちゃんと
ボストンの貧困地区。路上ではジミー、デイブ、ショーンの3人組がボール遊びに興じていた。
ボールが排水溝に落ちたとき、不審な車が少年たちの傍に停まる。
警官を名乗る2人連れは、3人の内からデイブだけを車に乗せ、静かに走り去った。
数日後、デイブは暴行を受け、無残な姿で発見される。
それから25年、同地区で殺人事件が発生。被害者はジミー(ショーン・ペン)の娘だった。
捜査を担当するのは、今は刑事となったショーン(ケビン・ベーコン)。
やがて捜査線上にデイブ(ティム・ロビンス)の名が浮かぶ。事件は3人の過去を弄ぶようにして、非情な物語を導いてゆく…。
☆★☆★☆★☆★
…参りました。
…ごめんなさい。
…どうしよう。
終ってから、アタマをうずまいていたのが、この言葉たちだった。
「年間にいい映画にでくわす運」っていうのがあるとしたら、あたしはたった今、それを使いきってしまったに違いない、と思った。
もしあたしにオスカーを決める権限があったりしたら、持ち点は全部この映画に、この監督(クリント・イーストウッド)に
そしてケビン・ショーン・ティムの三人にあげてしまうだろう。
余韻が抜けてないので、支離滅裂になるかもしれません。
でも、思ったこと全部書ききれるかどうかわかんないけど、やってみます。
突然、事件にまきこまれ、やりきれない気持ちにさせられるジミー、
【出所したとき…マリータの死んだあとだ
おれは自分の小さな娘がムショより怖かった 愛してた…誰より】
過去の事件が原因で人生に絶望する日々を送るデイブ、
【ヘンリーとジョージ 誰にも話さなかった あいつらの名前だ
笑わすだろ?自分らをそう呼んでた やつらは狼だった】
家庭に問題を抱えながらも、悲劇を淡々と受け止めるショーン。
【たまに思う…みんな車に乗ってたら これが全部夢だったらと
実際は俺たちはまだ11歳の少年で 穴蔵で逃げたあとの人生を思ってるとしたら…】
犯人探しではなく、犯人探しの起こした悲劇なんだよね。かっこよく言うと「救済なき魂のドラマ」
家族への愛憎、日常への苛立ち、癒せぬ過去。これらの均衡が崩れたとき、人間はいかに愚かな存在となるか。
それは安易な悲劇に留まるものでなく、泣いてすっきり感動できるものでもない
この作品のテーマは、「あるとき人はどんな愚かな存在になるのか」というものだとあたしは思う。
物語中に、「あのとき選択が、もし・・・」というような台詞がよく出てくる。
人がよく失敗したり、挫折したりしたときに言ってしまう自分への言い訳の台詞。
人は、とても弱いもので、時としてこの台詞にどんなに救われるかしれない。
しかし、この台詞で決して片付けてはならないことがこの世にあることを、この作品で知ったような気がする。
ラストに映るあの川は何年か後にまた“使われる”暗喩なんだろうか。
「お願い、待って。頼むから待って」
あたしは心の中でずっとそれを言っていた。誰に、なにを待って欲しいのか自分でもわかっちゃいないんだけど、それでも。
子供のとき同様、一人がいなくなり二人が残る。ダブらせた映像が印象的。
あたしの心に焼きついて離れない場面(この映画を観た人はおそらく大多数がそうだろうけど)
「デイブ・ボイルは25年前、この道を車に乗っていってしまったんだ」
泣きはしなかったけど、胸がしめつけられて、どうしていいのかわからない気持ちになった。
こんな演技派を三人も揃えて、スカ作品になるはずもない。
それはちゃんとわかっちゃいたけど、予想を遥かに上回る、とんでもなくすごい作品。
それこそ「鬼が来た!」クラスです、あたしにとって。
役者について書かせていただきます。
いかんせん表現力が乏しく、言いたいことがあるのにそれをどう言えばいいのかわからなくてもどかしくなってるので
パンフにある文章で「そうなの、これがいいたかったのよ!!」ってのを引用しまくります。御容赦ください
まずショーン・ペン
愛する嫁さんや子供達との温かい家庭を持つ雑貨店主として登場
それがだんだん薄皮一枚ずつ剥ぐように過去と暗部が炙り出しのように「少しずつ」表に現れてくる(パンフの表現、いただきました)
相変わらず「少しずつ」の人。少しずつ、ちょっとずつ小出しにしていって、ついに感情の箍がはずれて暴発暴走するとこは、ペンさまの独壇場。
「俺の娘なんだ!!!」…しめつけられましたね。ほんとに。
全てが終ったあと、窓際に佇む背中…懺悔か?いや、きっとそんな生易しいものぢゃない様々なことをその背中は語っていました。
次にケビン・ベーコン
過去を捨て去って生きようとする男。
あのH余韻に浸ってるときにジェイソンママに殺されていたあんちゃんが、こんなすごい役者になるだなんてなあ。
あのダンスダンスダンス、全てをダンスで解決してしまった青年が、こんなことになってしまっただなんてなあ。
こないだの「コール」んときとは別人。
過去を捨て去ろうとして、心を閉ざして生きている男。冷静さの裏に果てしない孤独が滲み出る。
それが事件によって過去に対峙し、カサブタを無理矢理はがされて再び血が滲んできた傷が痛みだす。
冷徹な顔に隠された苦渋を、抑えがきいたナチュラルな演技で鮮やかに見せてくれます(これまたパンフから引用)。
そして、ティム・ロビンス
あのつるつるむき卵のような、ダークな人には不向きな彼が(「隣人は…」の悪役、なんかいまひとつでしたから)…
だはー!!まいりました。もう、切なくて、胸が痛くなってくらい哀しい。
心の闇を封印しようとする余り、周囲の全てに対し心を鈍くし、傷のあまりの深さに、誰にも心を開けなくなってしまった男。
なにがあったかを誰にも知られたくないあまりに、常に嘘をつき、自分を更に追い詰めてしまう男。
でも、息子に注ぐ必死なまでの愛情は、哀しいほどに温かい。その瞬間だけは彼の鈍いオーラに温かい光が過る。
「敵から逃げるか立ち向かえばいいものを、身を守ろうと体を縮めてその場にうずくまってしまう動物」の動きそのまんま。
(パンフから引用です)
「どうしよう…」
彼が出てくるたびに、あたしはずっと思っていた。「どうしよう」「どうしたらいいんだろう」
デイブを守ってあげられなかった。あたしにはなにもできなかった…
映画なんだから当たり前のことなんだけど、それでもあたしは「ごめん」とデイブに謝っていた。
ジミーの嫁さんローラ・リニー
こないだ「ラブ・アクチュアリー」で初めて知ったんですね、彼女のことは
優しく献身的な嫁さん。地味だなあと思っていたら…とーんでもない!!
最後、彼女はマクベス夫人になる。
【私たちは弱くない。この街の支配者よ】
マクベス夫人は自滅してしまったけれど、アナベスは絶対そんなことはないだろう。
ジミーの家族、ショーンの家族、それと対比するデイブの家族…胸、つまりっぱなし。
終ってから、つっこむとこが一切ない。
完璧な脚本、完璧なキャスト。
ほんっと、凄い映画見ちゃったです。
もっともっと、こんなんぢゃ書ききれてないくらい、足りない足りない、全然足りない。
でもそれを表現するにはあたしには文章力も表現力も足りない足りない、全然足りない。
もう1回観たいとは思う、でももう1回耐えられるかなあ。
参りました、完全に負けました。
ここまでやられちゃうと、「どうしましょ」としか言えないなあ。
としか言えない、とほざいてながらも結構だらだら書いてしまった。だはは
なにはともあれ、初手から「今年一番」になりそうな映画に出くわしてしまい、
今後がちょっと寂しくなるかもな、あたしの映画生活…ま、まだわかんないですけどね